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フランク安田の交易所を保全する意義

日本の文化と伝統のために、フランク安田の成したことを広く人々に知ってもらうのはとても大切なことだと思います。交易所は、フランクの献身的な活動の拠点ですが、経済活動の単なる舞台と言うことだけでなく、「弱い人に優しく接した」というフランクの人柄を象徴的に表しています。交易所を残すことは、100年前、アラスカで、一人の日本人が、異民族のために、生涯を賭けて生き抜いたことを「形」として保存することに他なりません。

日本人の生き方

フランク安田の生き様は、「努力」・「忍耐力」・「献身」・「誠実」をそのまま生きたような生き方です。そしてそれはまた、現代の我々が忙しさにかまけて、往々にして忘れかけている「古い日本人」の生き方そのものでもあります。ボーダーレス、グローバル化などと言われて久しい現今において、日本は「国」としてどのように進むべきか、確たる指針がなかなか見つけられないように感じられます。そして、それに歩を合わせるように、日本人はいよいよ内向きになってきているようにも思うのです。

資源の乏しい日本という国を支えているのは、「人」の力です。その「人」を育てるのは「教育」でしょう。フランク安田の生涯を伝えることは、日本の教育にとって大切だと言えます。そして、これからの日本を背負って立つ若い人たちにこそ、明治の時代が生んだ、一人の日本人の生き方を知ってもらいたいのです。

寄付とか慈善事業とか、そういったものに対して、日本人は往々にして消極的になる傾向がある。元々、「個よりも全体」と考えがちな民族なのになぜでしょう。それは、日本人特有の「控えめ」ということを美徳とする気持ちがあるからではないでしょうか。善行をするのは厭わないけれど、それが表沙汰になるのを避けたいメンタリティー、そこに日本人の特殊性があるのかもしれない。翻って交易所の保全問題はどうでしょうか。

交易所保全は、次元の違う問題なのではないでしょうか。日常の中で考えれば、日常そのものに優先すべき問題が誰でもいくつかあることが分かるでしょう。しかし、日常レベルの優先順位に従っていると、交易所は人々の日常などお構いなしに、老朽化はどんどん進んでいくでしょう。日常の問題が解決して、さあ、交易所に取りかかるか、、、なんて思ったときは既に手遅れ、こんなことが十分に考えられるのです。

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