フランク安田(安田恭輔)
アラスカのモーゼ
参考文献
アラスカ最後のフロンティア 東良三著・山と渓谷社・1973年
アラスカ物語 新田次郎・新潮社・1980年
フランク安田没後50周年「メモリアルポトラッチ」事業報告書
フランク安田没後50周年「メモリアルポトラッチ」実行委員会・2008年
フランク安田~アラスカでエスキモーになった男~ 遠藤光行・2015年
阿部敬介小伝 アラスカに足跡を追う 宇土康宣・2015年
ONE MAN’S TRAIL = フランク安田を慕ったある男の軌跡
トゥーラック・ニューマン著・寺田美穂子訳・2018年
1868年 安田恭輔、11月20日、宮城県石巻市で安田家三男として誕生。
1887年 三菱汽船石巻支店萩浜出張所に勤め、見習い船員として外国航路の貨物船に乗る。
1889年 サンフランシスコで下船し、その後、農場や化粧品製造会社で働く。
1891年 アメリカ沿岸警備船ベアー号にキャビンボーイとして乗船。
1893年 救援物資を届けた後でベアー号を下船し、ポイントバローで暮らし始める。
1894年 ネビロと結婚。フランク安田25歳、ネビロ16歳。
1895年 村から追放され、ネビロと共にフラックスマン島へ移り、結婚生活を始める。
1897年 ポイントバローに呼び戻され、クジラ漁のリーダーになる。
1898年 長女キョウコ生まれる。
1901年 バロー村500人中120人が麻疹で死亡、長女キョウコを失う。村のリーダーになる。
1903年 フランク安田、ネビロ、トム・カーター、他数名を伴い、金鉱探しの旅に出る。
1906年 フランクが金鉱を発見し、カーターが採掘を始める。ビーバーへの移住を始める。
1908年 村人を迎え入れビーバーの村づくりが始る。人口300名まで増える。
1910年 次女サダが死亡し、三女バーニスが生まれる。
1913年 ビーバー村に郵便局や学校ができる。
1914年 四女ハナ誕生。アメリカの新聞がフランクを「ジャパニーズモーゼ」と称える。
1919年 石巻の兄・安田清安に手紙を出し、帰国を促す返事をもらうが、ネビロが反対する。
1920年 ビーバー村に飛行場ができる。
1925年 フランクらが開発したシャンダラー鉱山を売却し5万ドルもらう。ロサンジェルスに出て毛皮の販路を開拓する。
1930年 兄・安田清安死去の知らせを受ける。以後、石巻との音信途絶える。
1935年 ミンクの養殖や農業経営に失敗も、新聞が「アラスカのサンタクロース」と書く。
1938年 ハナが大学で知り合った白人と結婚し、ビーバー村で教師として勤める。
1942年 フランクは敵国の人間ということで強制収容所に収監される。
1946年 フランク、強制収容所から釈放され、ビーバー村に戻る。
1955年 作家・新田次郎、「アラスカのフランク安田」という記事を知り、それを書いた東良三と面会する。
1957年 石巻の安田静子夫妻がアラスカ大学総長経由でハナに手紙を出す。
1958年 フランク安田逝去。享年90歳。
1966年 ネビロ逝去。享年87歳。
1974年 新田次郎、フランク安田の生涯を描いた「アラスカ物語」を新潮社より刊行。
1977年 小説「アラスカ物語」が同名で東宝より映画化される。
1989年 フランク安田、アラスカ州議会から表彰される。
2008年 石巻市にビーバー村から訪問団。同年、ビーバー村で、フランク安田没50年のメモリアルポトラッチが開催される。