004《社会》アラスカの道《その2》
- ilovewell0323
- 2024年10月10日
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アラスカハイウェイというのがある。カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州ドーソン・クリーク(後に出てくるドーソンとは別)から発し、ユーコン準州の中心都市ホワイトホースを経て、アラスカはデルタ・ジャンクションに至る全長2200㎞のアラスカ随一の幹線道路である。東京~札幌間の直線距離の3倍弱で、ハイウェイという名前だが無料。道沿いに日本のPAやSAに類するドライブイン・モーテル・ギャスステーションが点在し、信号もごくたまに現れる。道路標識などもはっきりしていて(運転していて、日本とほぼ同じなのに気づいた)、便利かつ頼りになる存在だが、実はこの道、第二次世界大戦中に日本軍の侵略に備えてできたという。日本では金属類の供出やら「欲しがりません、勝つまでは」などとやっていた時代である。当時のアメリカ政府は、日本が千島列島・アリューシャン列島経由で、アメリカ本土に攻め込んでくる可能性を考えていた。アラスカが突破されたら一大事だ。と同時に、北の防備さえ鉄壁にしておけば、南からの進撃に集中できる。そのために、アラスカに物資を大量輸送すべく、大動脈としてアラスカハイウェイを築いたというのだ。
私が小学5年生か6年生の頃、毎週楽しみにしていた漫画週刊誌に「少年マガジン」と「少年サンデー」というのがあって、そのいずれかが、戦争特集というのをよくやっていた。大戦が終わって20年ほどが経過した頃である。その記事の中で、私は「アッツ島」の名と「玉砕」の意味を知った。アッツ島はアラスカからロシアのカムチャッカ半島に至るアリューシャン列島の最もロシア寄りに位置する島である。そこで起こった惨劇、後に訪れることになるウナラスカ島ダッチハーバーへの日本軍の爆撃、そしてアラスカ本土を守るべく急ピッチで造られたであろうアラスカハイウェイ。小学生からリタイアまでの間に偶々知りえた歴史の知識の断片、それらが半世紀かけて一本の糸によって結びつけられていく不思議を感じながら、私はアラスカハイウェイをひた走るのであった。

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