旅の前後でよくされた質問に、「アラスカに一人で行って怖くないですか? アラスカって危険なんじゃないですか?」というのがある。日本は勿論、カナダでも、特にあちら在住の日本人によく聞かれたものだ。いちいち説明するのは結構面倒だが、義理のある方面には丁寧に説明した。「アラスカといったって、町には普通の生活があるはずで、そりゃ、山に入ればクマは多そうだしオオカミやクーガー(北米大陸特産のライオンの仲間。プーマまたはピューマとも言う)がいるだろうけど、毎年何人もの犠牲者が出ているなんて話は聞いたことありません。日本のクマの方が余程悪さをしているんじゃないですか」。皆さん、半分納得し、あとの半分は……。私からすると、「アラスカと聞いただけで危険を想起する日本人の超安定志向」に半ば呆れ、半ば……。
「行くぞ!」と心に決めた時点でアラスカについて知っていることといえば、イヌイット・ゴールドラッシュ・オーロラ・北極圏・白夜など、ごく当たり前の知識だけだった。子供の頃、「石油が出て、パイプライン建設の土方のおっさん達は一度の食事でバター1ポンドを食らう(日本で普通に売ってるバターの倍以上)」なんて話をNHKの特集番組で観たことがあって、アメリカの豊かさと日本にはないワイルドさは感じていた。また、アラスカ関連の本を読むようになって、「150年前、アラスカはアメリカがロシアから買った」ことを知り、あんなでっかい “もの” の売り買いが行われることに、帝国主義という時代とそのスケール観に興味をそそられた。当時、買い取りを決めたアメリカの国務長官スワードは、「巨大な冷蔵庫を購入した」とアメリカ国民に散々けなされたようだが、30年後に金鉱、
100年後に油田が発見されるに至り、評価は手のひらを返したように上昇したという。”先見の明” というより偶々の成り行きという気もするのだが、アラスカ購入がもしなかったなら、すなわち、アラスカがロシア領のままであったなら、今の世界は果たしてどうなっていたか。ちなみに、スワードの名は、アラスカ西部の半島及びアラスカ湾に面した港湾都市の名として残っている。
アラスカには、ウィルダネスの魅力だけでなく、「まだ開発途上である」という前世紀的匂い、「何が出てくるか分からない」という”未知”そのものから発せられる吸引力、それがある。私が大好きなクマはごろごろいて、写真なんか撮り放題なんじゃないか。日本では考えられないことだぞ。これりゃ面白いに決まっている。アラスカ、もう、行くっきゃないじゃないか。
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