アンカレッジでのことである。ネット予約したお宅に到着時刻を知らせるべく何回かオーナーにメールで連絡を試みると、「まだ早いから」とか「遅くても構わないから」と要領を得ない返事が返ってくる。午前中に小型飛行機でデナリ山群の氷河を見たりして疲れきっていたから、街をぶらつく気にもならない。早く部屋に入ってゴロッとしたい、シャワーを浴びたい。ホントに泊まらせる気があるのかななんて考えていたら、件の家にあっさり到着してしまった。しゃれたデュープレックス。日本でいうところのタウンハウスだが、遥かに大きく豪華であった。呼び鈴を押すもノー・リブライ。再びメールで連絡してみたら、しばらくしてやっと返信が来た。
「玄関横の石の下にキーを隠しておいたから、それ使って勝手に中に入ってください」
オーナーの親切よりも、その開けっ広げかつ無防備に驚き呆れる。そもそも石の下に鍵だなんて、私が早着してしまったこの事態を予測していたのか。そうであるなら、ラインでそれを教えてくれてもよかったのに。なんだか、訳が分からない。石をどかしたら本当にキーがあった。鍵穴に入れて回すと扉が開き、目の前の階段を上ると大きなリビング&ダイニングに出た。広い。誰もいないから余計広く感じられる。三階に上がり自分の部屋を探し当てると、ちゃんとベッドがあって、私が泊まれる体制にはなっていて、泊める気はあるようだ。でも、まだ半信半疑で、悪いジョークに乗せられているんじゃないか、とか、柱の陰からオーナーが現れてげらげら笑いだすのではないか。そんなことまで考えた。一つ、大事なことを言い忘れた。オーナーは若い女の人なのである。
その後数時間。ビックリもなければドッキリもなく、シーンと静まり返った部屋で一人過ごす。この間、「ちょっと遅くなるから」のメールが2、3回あったきり。主人がいないのにシャワーを使うのは気が引ける。先に休んでりゃいいのだが、予想外の事態に、疲れや眠気もどこかへ行ってしまった。先ほどのメールでは「8時までには」なんて言っていたが、もう30分も過ぎている。イーカゲンニセーヨってちょっと頭にきて、シャワーを浴びた。まだ帰ってこない。やることなく、ビールを飲む。「冷蔵庫の中の物、勝手に食べていいから」なんて言っていたが、とてもその気にならない。2本目のビールが終わり、キッチンのカウンターからリビングのソファーに移って飲み物はバーボンのオンザロックにした。体が沈み込むようなゆったりしたソファーで、オンザロックは3杯目。「知らない人の、初めての家の、だだっ広く豪華なリビングでの、一人留守番」の違和感が、酔いのせいでやっと薄れてきた時に、階下で物音がした。やっとだ。マジかよ。どうなってんだ、ここの女主人は。
階段を上がってくる足音に、私は不思議とホッとし、同時にびっくりした。女主人・ステファニーは、ミニの赤いワンピースでハイヒールを片手にぶら提げ、顔はほんのり赤く染まっているじゃないか。
「やあ、ステファニー。今夜はもう帰ってこないんじゃないかと思ってたよ」と、私は友を懐かしむようなセリフである。
「あらやだ、キヨシさん。好きなもの食べてくれてよかったのに。フィアンセと話し込んじゃってね。結婚式の打ち合わせだったのよ」って、この人、結婚間近なんだ。それにしても、まるで無防備。悪びれた風もなく、こちらを訝しむでもなく。これがアメリカ人の流儀なのか。はたまた、彼女が例外的なのか。初対面とは思えない気楽な挨拶が終わったら疲れがどっと出て、三階の自室のベッドに横になった。酔いもあって、あっという間に睡魔に絡め取られた。ステファニーがシャワーを浴びる音を遠くに聞きながら。
それにしてもだ、にやけた私のアホ面が情けない。
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